だれがわれわれの聞いたことを 信じ得たか。 主の腕は、だれにあらわれたか。
だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
しかし、それを信じる人は なんと少ないことでしょう。 だれが、耳をすまして聞くでしょう。 神はだれに、救いの力を示すのでしょう。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
こうして主の栄光があらわれ、 人は皆ともにこれを見る。 これは主の口が語られたのである」。
主のかいなよ、 さめよ、さめよ、力を着よ。 さめて、いにしえの日、昔の代にあったようになれ。 ラハブを切り殺し、 龍を刺し貫いたのは、あなたではなかったか。
主はその聖なるかいなを、 もろもろの国びとの前にあらわされた。 地のすべての果は、われわれの神の救を見る。
主は人のないのを見られ、 仲に立つ者のないのをあやしまれた。 それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、 その義をもって、おのれをささえられた。
主はその右の手をさし、 大能のかいなをさして誓われた、 「わたしは再びあなたの穀物を あなたの敵に与えて食べさせない。 また、あなたが労して得たぶどう酒を 異邦人に与えて飲ませない。
そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
それは、預言者イザヤの次の言葉が成就するためである、「主よ、わたしたちの説くところを、だれが信じたでしょうか。また、主のみ腕はだれに示されたでしょうか」。
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。